無我夢中
私が受けた教育は 先生に教えてもらい、それを知識として暗記する方法が主流でした。学校でも塾でも、ピアノでも。おかげさまで進学もし、仕事も得て、お金を稼ぐこともできました。
だから、自分で考えて海外で教室を開くなんてことは、無知の世界でした。
だって、誰も教えてくれませんもの。
場所を探し、お金を計算し、保険屋さんを探し、カリキュラムや活動も全てひとり。
それはそれはたくさんやることが次々に出てきて、自分でやってることが正しいのか間違ってるのかもわからない。
無我夢中でした。
そう。この無我夢中。
できないとか、疲れたとか、考える時間よりも無我夢中の時間が上回っていたんです。今でもそうです。
幸い、今は様々な方のお力を借りれるようになり、「ひとりで」という精神環境はなくなりましたが、物質的にはひとりです。
この無我夢中はただ突き進んでいるというのではなく、
転んで起きて、
転んで手を差しのべてもらって、
転んで助けてと言う。
そんな風景も入っています。
そしてそんな無我夢中の日々を過ごしていると、色々なことが自分におこります。
学びになる。
視野が広がる。
夢が膨らむ。
またチャレンジしたくなる。
無我夢中な時、夢はいつもそこにあります。
だから、子どもたちにもこの無我夢中の快感を味わってほしいです。
なんでもいいです。勉強じゃなくても、スポーツじゃなくても。
石ころあつめ、迷路あそび、空を見つめる、雲を追う。
私が受けた教育も私の時代には必要だったけど、
これからの時代は共育が必要だと思います。
そのために 私も教育者(教えて育てる者)かではなく、共育者(共に育つ者)として無我夢中でいたいです。