受け継がれるもの
にぎやかな1月SHCが過ぎると、静かな少人数の教室に戻りました。人数が多くても少なくても、子供たちの活動アイデアを考え準備するのは楽しものです。
今度のレッスンではこれをしたらみんな喜ぶかも、この方法だったら漢字覚えやすいかも、これだったら宿題でできるかな と考える時間はいつも気持ちがわくわくします。
また、少人数でより近い距離で接することができるとそれぞれの成長が嬉しく、時には心配もしたり、将来を楽しみに思ったりもします。
このように私の頭の中はいつも子供たちのことばかりです。それにお付き合いしてくださる先生方もいます。
でももちろん、子供たちはそんな大人達の労力にはおかまいなく、思いっきり泣いたり、壊したり「いやだー!」と言ったり。気を遣うなんてことは全くありません。(苦笑)
新任の頃よく ”少なくとも大人は気を使ってくれる。大人と一緒に働いたらどんなに楽だろう”思ったものです。(その後大人と一緒に仕事する大変さも知りましたが)
そしてこの歳になってやっと気づきました。
私もそうやってたくさんの大人たちに育ててもらったんだな と。
両親、親戚などの家族はもちろん、学校の先生、ピアノの先生、近所の方々、友達のお母さん。お医者さん。
先生方は、授業、宿題の準備をしてくれ、ピアノレッスンの本を探してくれたと思います。特に引っ越し、転校が多かった私は 先生が教科書内容の違いやテスト内容やクラス活動に気を使ってくれ、ピアノのレッスンも途切れなく続けられるように引っ越し寸前までレッスンをしてくれたかもしれません。
新しい土地に行けば近所の方が自分のお子さんに私の新しい友達として紹介してくれ、引っ越しの時には手紙を持ってお別れに訪れてくれました。
親戚の伯母は遠方に住んでいたため、数年に1回ほどしか会いませんでしたが、おこづかいをくれました。そうしたかった気持ち、実際に伯母になった今、よくわかります。
はっきりした証拠はないのですが、私はたくさんの大人達に支えらえて子供時代を過ごしたという確信があります。これはきっと私だけに当てはまらず、こうやって世の中の大人が世の中の子供を育てているんですね。
今、そのことがよくわかった私は、子供の頃ピアノレッスンをさぼったり、はずかしさから助けてくれた人にきちんとお礼を言わなかったりしたことを深く反省しています。
子供たちに振りまわされる時は ”自分もこうしたからそのお返しかな”と思います。
同時にいつもあの時の大人の皆さんに大きな感謝の気持ちがわきます。
”今の子供たちもいつか、こうやって気づいてくれるかな。”
”いや、きっと気づいてくれる。こういうものは受け継がれるものだから。”